ゴミ山のスラムを観光地に――フィリピンの貧困支援NGO「スモーキー・ツアーズ」
堤祐子 / 都市交通計画、都市貧困はじめに
粗末なバラック小屋、汚水の溜まった通り、立ち込める臭気。フィリピンの首都マニラにはそんなスラム街がそこかしこに存在している。道路脇や川岸を始めとして、
ゴミ山や高級ショッピングモールの裏、はては公共墓地の中など、あらゆる土地にスラム街は形成される。その街並みは、さながら貧しい者と富める者が織りなすパイ生地の様相を呈しているマニラ首都圏は人口1千万人を超える、近年成長著しい大都市圏の一つだ。街には次々と高層ビルが立ち並び、
休日には高級レストランに長蛇の列が出来上がる。たった3年ほどで街の風景がガラリと変わってしまうほど、都市の成長スピードは凄まじい。しかしその一方で、マニラ首都圏は人口の37%、じつに400万人以上がスラム居住者であるとも言われている。地方からの都市への人口流入が加速しているにも関わらず、
受け皿が絶望的に不足しているためだ。人々は地方での貧しい生活から逃れようと夢を抱いて都市へと移住する。
しかし当然、その全員に仕事と住居を用意することは不可能だ。フォーマルな生活からあぶれた彼らは親戚や同郷の仲間のツテを頼り、不安定な仕事とスラムでの住まいにようやくありつくのである。
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ブルゴス通りやばすぎ

飲んでて楽しいよ









去年3年ぶりに行ったけど、3年前と比べても全然オフィスビルとかホテルとか、立派になってた


マルコス政権崩壊が86年だから、日本で言えば終戦から30年った昭和50年代だよ
マルコス時代に無茶な少数民族弾圧のツケが祟って、まだドンパチやってることも考えると、終戦直後みたいなもん


フィリピン、俺も明日のために今日を懸命に生きることにするよ、ありがとう

おまえらが馬鹿にするような都市ではない


なお不法占拠していた在日は川崎から退去料3000万円をもらいマンションに引っ越しましたとさ

ただしテロを警戒していたるところに武装警官がいるし、どこの建物に入るにもボディチェックと持ち物検査がある。
ちょっと外れると小汚い下町がすぐに現れる。
日本の昭和30年代から40年代といった風情。
さすがにスラムまではいかなかったな

ソウルからちょっと離れたらこんな町並みwww

バスから見えたわ
奴らはほとんど出て来ないしこちらから行かなけりゃどうでもいい